広島地方裁判所 昭和41年(行ウ)21号 判決 1967年3月15日
原告 松永健吾
被告 広島刑務所長
訴訟代理人 村重慶一 外三名
主文
原告の昭和四一年八月三〇日付領置金使用願に対して同年九月一日被告のなした不許可処分はこれを取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一、当事者の求めた裁判
原告
主文同旨
被告
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第二、請求の原因
一、原告は昭和三七年一〇月二七日より現在にいたるまで広島刑務所に収容されている受刑者である。
昭和四一年八月三〇日原告は株式会社有斐閣発行の図書「監獄法」(以下単に「監獄法」という)を購入するべく領置金使用願を被告に提出し許可を求めたが、同年九月一日不許可の処分をうけた。
二、「監獄法」は監獄法及び関係法令の解説書で何等行刑目的を阻害する虞のある書籍ではなく、原告は目下広島高等裁判所に係属中の被告を相手方とする懲罰処分取消の行政訴訟および広島地方裁判所に提起すべく準備中の被告の懲罰処分を原因とする国に対する損害賠償請求訴訟の為に「監獄法」の閲読を必要とするものである。
憲法上何人も裁判所において裁判をうける権利を有するが、右権利にもとずいて自己に有利な裁判をうる為の訴訟活動を行う為に閲読を要する書籍を求めるのを禁止する処分は憲法に反するので取消されるべきである。
第三、被告の答弁
請求原因一は認める。原告は強盗強姦、強盗致傷住居侵入罪により懲役八年、逃走未遂窃盗罪により懲役二年、窃盗加重逃走罪により懲役二年六月の刑を受けたものである。請求原因二のうち広島高等裁判所に原告主張の行政処分取消訴訟が係属していることは認めるが、右訴訟等の為に「監獄法」の閲読を要することは否認する。
被告が不許可にしたのは、監獄法第五二条にいう正当の用途に供する場合に当らないからであつて、被告の処分に何等違法はない。
即ち、原告は行刑累進処遇令の適用されない受刑者であるところ、昭和三五年一一月一五日法務省矯正局長通達矯正甲第九三四号によれば「行刑累進処遇令の適用されない受刑者については、三級又は四級の級別制限に準ずること」とされ、図書については、「特に必要と認められる場合に限り使用を許可するもの」とされているが、原告の購入を願い出た「監獄法」は右「特に必要と認められる場合」に該当しない。
監獄の収容関係はいわゆる特別権力関係であつて、被拘禁者の基本的人権は監獄という営造物の設置目的のため、又その施設の管理、運営、紀律維持の目的に照らして合理的制限をうけるのは当然である。
ところで、「監獄法」は監獄法とその附属法令の解説のみならず、行刑に関する立法論ないし政策論を学問的に記述した高度の専門書であつて、その内容には監獄法規に対し矯正当局が現在とつている態度とは必ずしも一致しない見解や立法論的批判も含まれているばかりでなく、監獄の警備方法に関する事項等受刑者に知らしめることの好ましくない事項にもふれている。
一方原告は昭和三七年一〇月二七日に広島刑務所に入所以来逃走に異常なまでの執念を持ち、逃走既遂一回の前歴のほか逃走を企てたこと十数回に及ぶものであるが、原告に対し警備の厳しい昨今ではあらゆる処遇に対し刑務所職員に対抗し、現に本件の他に数件の行政訴訟等を提起し処遇について不服を申立てているものである。
かかる原告に前記内容を有する「監獄法」を与えることは今以上に原告の抗争を激化させ、担当看守の正当な職務の執行を牽制する虞があるばかりでなく、訴訟件数ひいては出廷回数が激増する為逃走防止の為に多数の戒護職員を要することから刑務所の一般の戒護が手薄になるなど監獄の管理、運営、紀律維持を極度に困難ならしめるのは経験則上明らかであり、かくては原告自身の精神的教化目的の達成が出来ないのみならず、他囚に精神上与える影響も看過できないから、原告に本件図書を与えることは許されない。のみならず、原告には原告主張の前記訴訟事件についてもたゞちに本件図書を必要とすべき事情は認められない。
第四、証拠関係<省略>
理由
原告が昭和三七年一〇月二七日以降広島刑務所に服役中の者であり、昭和四一年八月三〇日「監獄法」を購入すべく領置金使用願を被告に提出し許可を求めたところ、被告より同年九月一日不許可の処分をうけたことは当事者間に争いがない。
刑務所は自由刑の受刑者の刑の執行の場所として国が設置し、国の意思によつて支配され運営されている営造物で、同営造物に受刑者として収容されている原告と営造物の主である国との間には懲役監収容という営造物使用関係が存在する。そうして右営造物の管理運営を司る刑務所長たる被告と原告の間には右刑の執行の為に必要な範囲と限度において、被告が原告を包括的に支配し、原告は被告に包括的に服従すべき関係いわゆる公法上の特別権力関係が成立している。
ところで、特別権力関係においても憲法の保障する基本的人権は排除されるわけでなく、ただ特別権力関係設定の目的に照らし合理的と認められる範囲において制限をうけるにすぎない。
およそ図書閲読の自由は「読む自由」「知る自由」に帰するがこれを憲法の保障する基本的人権の上からみると憲法第一九条の思想の自由ないし第二一条の表現の自由としてとらえることができるのであつて、受刑者といえども右の自由の保障のあることは前述の通りである。そこで右の自由が刑務所における特別権力関係においていかに制限をうけるかについて考えるに、在監関係の本質は、裁判によつて確定した刑を執行する為、国家が受刑者を継続的に拘禁して一般社会から隔離し、かつ当該受刑者を矯正教化することであり、この為には受刑者の逃亡を防ぐと共に、監獄内の紀律と秩序を維持しなければならないから、ある文書図画を当該受刑者に閲読させることによつて監獄からの逃亡の防止と監獄内の紀律および秩序の維持に明白且つ現在の危険を生ずる蓋然性の認められる場合には刑務所長は右文書図画の閲読を禁止又は制限することも許されると解しなければならない。
しかし「監獄法」が監獄法及びその関係法令を解説した学術専門書であることは当裁判所に顕著な事実であつて、その内容に被告主張の如く立法論ないし政策論的部分及び警備方法に関する事項等が含まれているとしてもこれを受刑者が閲読することによつて前記行刑の目的を害されるとは解し難いし、また原告について考えても、原告が「監獄法」を閲読研究することによつて仮に今後更に原告の被告や国を相手方とする訴訟が増加し、かつ原告が被告の主張する様な逃走に関する前科前歴を有する関係上原告の出廷に多数の看守を要することになつても、そのことからただちに拘禁や監獄内の紀律および秩序維持に明白かつ現在の危険を生ずる蓋然性ありとはなし難い。
そうすると原告は「監獄法」を読む自由を有するものであり被告がこれを禁止することは原告の基本的人権を侵害するものであつて許しがたいといわねばならない。(監獄法第三一条、同法施行規則第八六条は以上の解釈にてい触しない限りその合憲性を保持することができる。)
ところで、本件行政処分は、それ自体は原告の領置金により「監獄法」を購入することを拒否した処分であつて単純な右図書の閲読禁止の処分ではないから、その閲読禁止が違法であるからといつて当然に本件処分が違法となる訳のものではなく、その判定については右書籍購入のための領置金の使用と購入の結果たる私本の所持の点についてなおこれを制限すべき合理的根拠があるかどうかを検討しなければならない。
右の点について被告は本件領置金の使用目的は監獄法第五二条にいう正当の用途にあたらないとし、その理由として原告の購入しようとする「監獄法」は行刑累進処遇令の適用されない受刑者である原告について「特に必要と認められる場合」に使用を許される図書に該当しないと主張するので考えるに、およそ特別権力関係に在る受刑者の領置金の使用及び私物の所持に対する許否はそれが法規並びに受刑者の基本的人権の保障に低触しない限りの広汎な自由裁量に属するものと解すべきことはいうまでもない。したがつて、一般的には、私物の購入及びそのための領置金の使用の拒否の適法性を主張するためには、被告の右主張の如き理由付けすら必要がないというべきである。けだし、行刑累進処遇令第七三条にいう法務大臣の認可は刑務所長が自己用途物品の所持につき行使する許否の裁量権を行政庁内部において規制するためのものに過ぎず、したがつて右個別的認可に代る被告主張の矯正局長通達も同様内部的規制に過ぎないと解されるから私物購入の許否が右通達に示された基準に適合しないからといつて、処分の不当の問題は生じても、処分の違法の問題は生じえないからである。ところが、逆に本件の如く右の拒否が、それ自体としては基本的人権の侵害として違法たるを免れない図書閲読の禁止という結果を直接的に招来する(このことは弁論の全趣旨に照らして認められる「監獄法」が広島刑務所において受刑者用備付官本に存しないことから明らかである)場合にあつては、拒否の適法性を主張するためには、単に該図書の閲読が前記通達にいわゆる「特に必要と認められる場合」にあたらないというだけでは足らず(後記の如く右必要性は認められるが)、領置金の使用又は私本の所持につき、それら自体を規制する面で右基本的人権を制限してまでもこれを拒否しなければならない程の管理運営上の必要性(その基準についても明白かつ現在の危険の理論が適用される)が存することを要するものと解するのが相当である。その限りにおいては、行刑累進処遇令第七三条の適用は当然に制限せられ、同条にもとづく前記通達は許否の基準たりえないものといわねばならない。
しかるに、被告は右の如き管理運営上の必要性については何等主張立証しないのであるから、結局本件処分は原告の基本的人権を侵害する違法のものであるとせざるをえない。
それのみならず、原告が被告を相手取つて被告の原告に対する懲罰処分取消の行政訴訟を提起し現に広島高等裁判所に係属中であることは当事者間に争いない事実であるところ、右訴訟に関し原告が前記内容を有する「監獄法」の購入閲読を必要とすべき合理的理由のあることは容易に首肯しうるところであつて、これを右訴訟において敵対関係に在る被告において裁量によつて阻止する如き結果を招く処分は、訴訟における当事者対等の原則を侵すものであり、裁量権の濫用として許しがたいものといわねばならぬ。
よつて、本件行政処分はいずれにせよ取消を免れず、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 胡田勲 永松昭次郎 笹本淳子)